植草一秀教授

植草一秀教授が都迷惑防止条例違反(迷惑行為)の現行犯で逮捕されたそうだが、どのような行為だったのかが気になる。具体的な鏡の位置がどこにあったのかが分からないので、「迷惑」の度合いが分からないが、この手の報道を耳にするたびに、私は、覗かれる側のスカートの丈が短いことを是非を問うべきだと思う。さらに、短い丈のスカートのままで昇りのエスカレーターに乗る行為の是非も問うべきである。
結局は、長い丈のスカートをはくか、昇りのエスカレーターに乗らない、あるいは、鞄等でお尻を押さえて隠す、のいずれかを実行すれば、それで、犯罪の被害者になることを防げるはずである。それを怠っている被害者側の意識を問われないのは不思議だ。
「怠っている」と書くと被害者を責めているようなニュアンスになるが、たとえば「玄関に鍵をかけてなかったら泥棒に入られた」ら、やはり鍵をかけていないことを怠っていたことは少なからずとも責められるはずであろう。暴行などの被害とはやはり大きな違いがあると思う。
再度、鏡の位置を問題にするが、もしも、鏡の位置が被害者の縄張りの範囲内になくて、単に加害者の手元にあったのだとすれば、これを犯罪だとみなすのは酷だと思う。近視や遠視で見づらい場合は、視力を矯正するために眼鏡をかけるわけだし、目の位置が高いので見づらいからそれを補うために鏡を使うのも、眼鏡の使用とに絶対的な違いがあるとは思えない。
もしも、鏡の位置が被害者のスカートの布で囲まれる範囲内にあれば、これは視力矯正の枠を超えているので犯罪とみなすのも分かる。ただ、そうであれば、単に「鏡を使った」という報道ではなく、「鏡を被害者のどの位置・距離に置いた」という定量的なことを添えて報道すべきだと思う。